みみみの部屋

虐待サバイバーからスライバーへの道

今年の7月

3歳女児を東京の自宅アパートで1週間以上も放置して死なせたとして、母親が逮捕された事件があった。

 

その時にFacebookで投稿した内容を

このblogにもUPしようと思ふ。

 

 

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一部の虐待親は自ら足を運ばない、相談までいきつかない。
自分のしていることに引け目があるという視点。
引け目からの正当化や現実逃避。
これはうちの親がそうだった。

 

うちの親の場合

たまに児相職員が訪問してきてたが

なにかと誤魔化したり嘘ついたりしてたので

そのまま帰っていってた。

 

そのあと、「おまえが○○だから」

とわしのせいにされてたな。

 

あと、全く自覚がない親も相談はしない。


したとして、できる限りの対応をしたところでデモダッテで解決していかない。

 

もう一つは
他人への不信感。

 

自分の場合は児相へ相談し

どうしていきたいか伝えたところで
共感で終わったり的外れな対応で終わり解決はしなく、それから相談することはなくなった。

 

息子が小学校高学年くらいの時に

相当追い詰められた時があって

児相に電話して

「これ以上子ども(当時の息子)一緒に居たらダメになる。

手を出してしまう。言っちゃダメな事まで言ってしまう。

一時的に離れたほうがいいと思う」

ザッとだが、泣きながらこういう事を訴えた。

 

そしたら家庭の状況や通院歴を聞かれ

「つらいですね、お母さんがんばってますね」

「明日職員のものを行かせます」と。

そんで男性の職員が2人くらい来たんだが

「どんな理由があっても子どもに手をだしたらダメです。

今、体罰も含め法律で暴力はふるってはいけないことになってます」

とかなんとか注意して帰ってった。

 

わかってるよそんなことは。

それでも困ってるから電話したのに。

注意されてどうかなるなら苦労せん。

 

そして口が立つようになった息子からも

「虐待」と言われたことがあった。

ハッキリ覚えてるが

その時

「何が虐待だよ、

あんたと違って私は何も悪いことしてないのにあんたより酷い目にあったんだよ」

と思った。

 

だから

「そう思うなら自分で児相に行って全部言えよ」

と自分の足で行かせたこともある。

 

ほんと、そういう事もあった。

ほんとに、つらかったな。

 

誰かに相談をと言っても

どうにかなったことなどなかったしな。

 

自分が虐待を受けてて

周りの大人に助けを求めても

無視か、逆に「親をそんなに悪く言うな」とかの説教か、その場しのぎな対応ばっかりで

その後のケアなどなく責任は誰もとってはくれなかった。

 

 

病気でも事件でもなんでも危機に晒されている人たちが最優先なのは知っているが
こういうグレーゾーンの受け皿はない。


白に近いグレーがジワジワと黒に近いグレーになりブラックになるまで見過ごされることは全体的に言えることだろうなと思う。

 

なので

元被害者が加害者になることはおおいにある。

 

わしは両方の視点で見るし

このような、こどもが犠牲になる事件があるたび

「ありえな〜い」

と言うだけの人を見るたび幸せなヤツだなと思う。

 

 

まあ、他にもいろいろなパターンはあるけど
色々な角度で見て対策していく必要はあると思う。

 

そして

当事者の声を無視すんなと思う。

 

 

 

 

以下、今 一生さんの投稿より

『3歳の子を残して、8日間も交際相手の元へ行っていた母親。
当然、子どもは衰弱死。

そこで毎度、「子育て支援」が叫ばれるんだけど、
残念ながら、子どもを虐待する親は支援に手を伸ばさないし、
相談窓口にも足を運ばない。

なぜか。
自分の育児に自信がないのを叱られるのが怖いからだ。
自分が満足に親として責任を果たせてないことを薄々自覚してるからだ。
だから、そういう弱者の取る選択肢は、現実逃避になる。

行政がいくら「勇気を出して相談を」と広報しようと、
その勇気を、当事者の虐待親は出せない。

勇気を持つべきなのは、むしろ支援する側だろう。
役人は座って待っていれば、相談電話にも出られるだろうが、
深刻に思いつめている親が気軽に声をかけられる雰囲気や構えを、
自己演出できていたか?

相談を受ける側が、自分自身の構えの傲慢さに気づき、
勇気を出して自分を変えようと試みていたなら、
この親も子どもと一緒に気軽に足を運んだかもしれない。

人にはそれぞれ弱みがある。
役人が専門卒や大卒、資格所有者なら、高卒の親はまぶしくて近寄りがたい。
リア充で何も悩みがないような笑顔で声をかけられたら、
うつ病発達障害の親はなんだか申し訳なく感じることさえあるのだ。

子育て支援は必要だ。
しかし、現実を見れば、虐待親にとってその支援の手は冷たく、
虐待防止策として有効に機能しているとは言えない。

その不都合な現実を認め、失敗を反省するところからしか、
子育て支援が虐待防止策として機能することはないだろう。』