みみみの部屋

虐待サバイバーからスライバーへの道

早速なのだが

特に何も書くことがない。

 

なぜなら

毎日、自分の過去の虎馬など

普段意識せず過ごしているから。

 

相変わらず生きづらさ?

みたいなのはあるが

だからなに?

と言った具合でごわす。

 

今となってはね。

 

 

底無し沼の時は

全て虐待を受けてきたせいにしてたような。

うん、何かとそこに理由つけてた。

 

実際、そうだし

事実は事実だけど

その過去と今は関係ない。

 

しかし

鬱病摂食障害の時期が長かったがゆえに

一番キツかったのは回復期。

 

底にいる時は底しか見えないけど

少し出口が見えてきたかな?ぐらいの時に

本当に社会でやっていけるのか

しっかり生きていけるのか怖くなって

周りを見ればリア充ばかりで(そう見える)

なんか自分はやっぱ違うなと思って

底にいた時のほうが楽に感じて

いったりきたりして足踏み状態だったな。

 

今はなんとか

あの時のような底に落ちることはない、、

というか落ちかける時もあるけど

立て直し方がわかってきたのか?

わからんが

不器用にゆるゆると生きていますが

ではあの時のクソ病みな自分を否定するのかといえば

そうではない。

 

そうなっても仕方がなかった。

よく生きたと思う。

 

 

自覚するためには

一旦自分にかかった呪いを否定する必要はあるが

同時に受け入れることも必要。

 

ここでごちゃごちゃになりがちだが

呪いは否定しても自分の全てを否定する必要はない。

 

そして

自分自身は受け入れれるようになっても

そのことで関係ない相手を巻き込んでしまったならその相手には開き直らず

なんらかの形で誠意を示す。

 

自分の場合は子ども、特に息子だ。

 

自分自身に開き直っても

相手には開き直るな。

 

それとこれは別ですたい。

 

 

しかし

これは自分の場合の話なので

人それぞれだが

ずっと底無し沼でグルグルまわってるのか

そこから抜けだせるのか

どっちにも転ぶことは身をもって体感した。

 

刑務所にしか居場所がなくて

何度もわざと犯罪を犯す人。

出所しても行くところがない

居場所がない。

人が怖い、社会が怖い。

そんな感じに近いのかもな。

 

気持ちはわかる🌝

 

そして

この辛さをわかって欲しい気持ちもわかる。

 

同じようなつらさを味わってほしくない

自分と似たような被害者を生み出したくないと言いつつ

一方的に自分の話を延々とする人の事もまあわかる。

(わしは自分のblogでは自分の話はするけど対面でそれはしない)

 

 

わかるわかると言いながら

全部はわからんよ。

 

人の気持ちなど

所詮自分に置き換えたり想像したり

対話を重ねるしかなく

まあなんとなくわかるって感じですが。

 

たまに自分の気持ちすらわからん時もあるしなww🌝